はないちもんめ

保育園育ちです。

0歳で入園してしばらくは同級生?はいなかったようです。

上の学年の子どもに混ぜてもらって、3歳くらいまで過ごしましたが、ある年の4月、今まで一緒だったクラスの友達だけ上のクラスに進級し、私はひとり元のクラスに取り残されました。

何事!???

 

その日以来、それまで眼中になかった下のクラスの子たち(本当は同級生なのですが)の中に突然グループ分けされることになったのです。

小さいながらも(小さいからこそ?)、自分ひとりだけが先生や友達から取り残され置いていかれた絶望感、見放されたような悲しさ、ひとりぼっちの寂しさなどでしばらく胸がいっぱいでした。

大きくなってから事情を説明されましたが、小さくて分からないだろうと思ってもあの時しておいて欲しかったですね。今でも覚えています。

 

 

保育園では夕方お迎えがくるまでの自由時間、よく「はないちもんめ」をしました。私は竹馬や泥ダンゴをひとりでするのが好きでしたが、寂しそうに見えたのか、よく先生が声をかけてくれました。

 

いつも最初は期待いっぱい、隣の子とギュッと手をつなぐと、あまり親しくなくてもつながってる感じがして安心できた気がします。

 

でも!

私は「あの子が欲しい」の後で、いつもなかなか名前を呼んで貰えませんでした。とほほ。

次は呼んで欲しい・・・次は・・次は・・と願うのですが、遊びが進むにつれ期待は消えゆき、だんだんと怖くなってきて、楽しいはずの遊びが後半は内面世界での悲しみや苦しみとの戦いになっていたように思います。 

 

振り返るとちょっとつらい「はないちもんめ」の記憶です。

「わたし、必要とされてないのかも...」とココロに何回も上書き保存してしまったかもしれません。 そしてそれを打ち消すために重いヨロイを着始める。 

 

 

でも今なら似たような場面に遭遇しても「それはそれ」と処理できます。だって「それ(体験したこと)とこれ(私という存在の大切さ)」って別のものなんですから!

 

こうして過去のことも微笑ましく?振り返れるので、ダメージもそこそこ挽回出来ているのではないでしょうか?