息子の通う通級指導教室で、「きみはいい子」(中脇初枝著)という本を借りて読んだ。
〝いい子〟というフレーズに出会うと複雑な気持ちがする。
挑発と軽蔑と無力がちらりと覗く。
私に対するインパクト十分の題名だ。
短編が5つ。
受け持ちのクラスで学級崩壊を経験する若い男性教師の話、公園友達とはうわべの付き合いをしながら家では子どもを虐待することをやめられないお母さんの話、一人暮らしのおばあさんと自閉症児を育てるシングルマザーのある出来事の話、などなど。
そしていくつかの立場から虐待の問題が取り上げられている。
虐待する側、受ける側、疑う側、気づく側、見捨てる側、助ける側、、、、、、
不思議なのは立場が全て違うのに、それぞれの気持ちがわかる気がすることだ。受けるつらさも、助けたい思いも、振るいたくなる欲望も。
絶対許せない、という気持ちと、私だって似たようなことしてないか?という不安。
自分の中にもあらゆる対極の感情が絡まりあってあるのだと思う。
状況次第で、人間どんな感情だって出てくるだろう。
子どもや夫婦という近くてお互いの境界もはっきりしない関係が中心の生活を送っているのだから、家庭内では外より感情のコントロールレベルが下がってしまう。
こころの勉強をいくらしても、なりたい自分にはほど遠い。
本の帯の文章は
「怖かったのも、触れたかったのも、お母さんの手だった」
とあって、この一文だけでもハッとするしぐぐっとくる。
子の立場からも親の立場からも、感情移入できてしまう。
でも今は大人として、親として、負っている責任を果たしていく番だ。
きっと、間違えて、やり直して、、、を繰り返しながらだろうけれど。